白瀧神社の由来
 

 桐生市川内町五丁目(旧仁田山)に鎮座する白瀧神社の御祭神は、天八天千々姫命(あめのやちちひめのみこと)
(織物、紡績の神)に白瀧姫の御霊を合祀したものである。

 白瀧姫は、横萩右大臣豊成公(よこはぎうだいじんとよなりこう)の二女として、天平宝字年間(七五七〜七六四)に京都においてお生まれになり、長じて御所に白瀧の前(きさき)と称し官女として奉仕したる折に、仁田山の住人、山田舎人(とねり)が郡役として御所に奉仕する。当時文学盛んにしてしばしば御歌の会が催され数々の詠進の中に白瀧の前と山田の詠進に相互の思慕の念顕れ、この由叡聞(えいぶん)に達し御感のあまり白瀧姫を山田の舎人に下され相伴い仁田山に帰り来しと云う。

 白瀧姫は養蚕、製糸、機織りの業をよく修めこれらを里人に教え、土地の産業として広く及ぼし依って織物発祥の祖、機神(はたがみ)天神として祀り祭事を執り行う。明治初年『白瀧神社』と改称し現在の社殿を修造する。その後、織物の隆盛に伴い崇敬者の寄進により神楽殿、手水舎、社務所、参集殿を築造し社頭整備等で尊厳維持をはかり、桐生市の名勝の一つにかぞえられている。

 境内の『降臨石』と称する大岩は、その昔耳をあてると機音が聞こえてきたが不心得者が雪駄を履いて岩に上がってから機音が止まってしまったとの言い伝えがある。

                                                    平成十九年八月六日